NEWS

ジェロントロジーに関する耳寄りな情報 第88回(ジェロ・マガ Vol.88[2024年9月3日]より一部抜粋)

このコーナーでは、ジェロントロジーに関連する、日々の生活や今後の生き方に役に立つ、あるいは「耳寄りな」情報をお届けいたします。

—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-+—-

今回は「ピダハンの認知世界」についてです。
※ピダハンとは、アマゾンの熱帯雨林で暮らす狩猟採集民です。ピダハン族は文明との接触が極端に少ない、孤立した部族です。

(1)都市郊外の希薄な宗教性

ピダハンの認知世界に触れる前に、宗教ジェロントロジーについて簡単におさらいしておきます。寺島実郎『ジェロントロジー宣言』(NHK出版新書)では、異次元の高齢化社会を特徴づけている都市新中間層の心の問題として、希薄な宗教性を指摘しています。戦後日本の工業化に伴い、田舎から都市へ移動してきた人々が国道16号線沿いの団地に象徴される都市新中間層の生活様式を形づくりました。

会社という組織社会を唯一の帰属集団とする一方、生まれ故郷である田舎の地域社会とは徐々に関わりをなくしていくという、地域のローカルな文脈からの脱埋め込みのプロセスを経た結果、地域に根付いて受け継がれていた宗教性とも乖離していく状況が生じました。地域にも足場を持たず、宗教性も希薄化した高齢者は、定年退職により組織社会とも関係を断ち、100歳人生を迎える中で、「魂の基軸」を再形成するための「新しい宗教観」を構築していく視座が求められています。

(2)ピダハンの認知世界

本メルマガでピダハンの認知世界の全貌に迫ることは到底及びませんが、大きくポイントを取り上げると以下の2点が挙げられます。

①直接体験の原則

②共同注意・共同志向性

各ポイントについて簡単に触れていきます。

①直接経験の原則

著者のエヴェレットによると、ピダハンの生活を観察していて、彼らの会話の内容で顕著な特徴があることを指摘しています。それは、自分たちが直接経験していない出来事については決して語らないことです。まず、ピダハン語の文法構造をみると、人間の言語に特徴的にみられる「再帰」がないというのです。再帰とは

「○○さんは、△△さんは□□だと××した。」

というように、「○○さんは、・・・××した。」の文に入れ子状に別の文を挿入することです。このようにして、より複雑で客観的な状況を表現することができます。ピダハン語には、この「再帰」が不在です。加えて、ピダハン語には時制における完了形もないといいます。過去や未来を表す表現はあっても、発話時点から直接結びついている範囲でしか語られず、過去完了形のように過去のある時点から出発して、過去のある時点について言及すると、それは間接的な出来事となるので、語られえないのです。

つまり、ピダハンの話の中には、空想の物語は存在しません。この原則に従うと、親族を表す言葉も限定され、基本的に「親」「同胞」「息子」「娘」しか存在せず、一人の人物が誕生から死までの時間の中で直接会う間柄として、これで十分だからだと著者は推測しています。ピダハンの発話の中では、自分が直接経験していることに加え、発話者と二人称的に対峙している他者の経験も同様に「直接経験の原則」に含まれます。

したがって、同じ共同体で生活し、現在を共有している他者が経験したことは同様に言及されえます。しかし、その他者が死んでしまった場合には、ほとんど話題に上ることはありません。なので、ピダハンの世界では創世神話は口承民話、歴史などが完全に欠如しています。著者のエヴェレットはピダハンの言語構造を明らかにすることとともに、キリスト教の布教も目的としてピダハンを訪問していました。しかし、彼らにはイエスの存在がまったく理解できなかったといいます。

さて、「直接経験の原則」によって、直接見聞きしたことしか語らない彼らが、見えない何かをまったく想像しないかというと、そうではないといいます。ピダハンたちはしきりに「精霊(イガガイ―)が見える!」と言い合ったり、寝ている間に見た夢について語り合います。この点がもう一つの特徴である、②共同注意・共同志向性、につながります。

②共同注意・共同志向性

共同注意・共同志向性とは、自分と他人との間の乗り越えられない視点の違い(視差)=不可能性を含みつつ、共通の対象に注意することで、自分と他者との間にひとつの「関係」があることを保証することです。ピダハンたちが「精霊(イガガイ―)が見える!」とお互いに言い合っている場面では、ピダハン同士が共同的な関係性に内属していることを確認し合っている状況であり、皆に見えていることの自明性が、彼らがお互いに繋がっていることの保証となっているのです。

ピダハンは視野に出現することと、視野から消失することに異様な関心を示すといいます。川で誰かがカヌーに乗って現れると、皆が一斉にそのカヌーに乗った人物を見ようとし、そのカヌーが消えると、「誰々が消えた!」と叫びます。見られうる対象と消失に興味があり、そのことが共同性の自己確認になっているといいます。

同様に、ピダハンは寝ている時に見た夢と他者へしきりに語り、周囲の人々が夢への感想や意見を口々に投げかけます。そうすることで、周囲の人々も同じ夢を見たことになり、誰かが見た夢が、共同で目撃されることでつながりを再確認することが夢にはあります。その意味で、ピダハンにとっての夢は現実の体験として数えられるものとなっています。このように、ピダハンの認知世界の特徴の一つである共同注意・共同志向性の対象は、精霊や夢などの自明に観察可能なものよりも、見えるか見えないか微妙な対象、可視性と不可視性の境界にあるもののほうが適切であるといえます。それは、その不確かさがより共同注意・共同志向性を強化するための行動を促し、共同性の証しとしての効果を強めるからです。

ここまでの議論をまとめると、ピダハンの認知世界は「直接経験の原則」に従っており、彼らにとって直接となる経験の範囲でのみ物事が成立します。そして、「直接経験の原則」に則った認知枠組に基づく共同注意・共同志向性によって、他者との関係の保証を作り出し、ピダハン社会の安定性に寄与するのです。

(3)まとめ

人類学の視点からすると、ヒトは自然選択の過程で、他者と密に協力することで優位性を発揮するよう進化してきました。そして、宗教は他者との安定した協力関係を築くために生み出された進化の産物ともいえます。我々の文化における宗教と同様の機能を、ピダハンの世界では「直接経験の原則」と「共同注意・共同志向性」の認知枠組が果たしており、それゆえに、ピダハンの世界では「神」は存在しえないのです。希薄した宗教性が進む中で、新しい宗教観を必要としている今日、あらためて心の安静や魂の拠りどころとなる精神性を志向するうえで、ピダハンの認知世界は人間に果たす宗教の役割を再考する際のヒントとなるかもしれません。

参考文献

大澤真幸「精霊を見よ -ピダハン」現代ビジネス 2021.7.20

・ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』みすず書房,2012

・寺島実郎『ジェロントロジー宣言 「知の再武装」で100歳人生を生き抜く』NHK出版, 2018

・ロビン・ダンバー『宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』白揚社,2023

A black and white version of an image showing a Piraha family in Brazil source: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pirahas_of_Brazil.jpg